真朱の姫神 第一部現代編
                                                                                    
 五、朱の道吉野
 
 井角に忙しい日が続いていた。制作部次長といっても社内でのデスクワークより顧客(クライアント)との打ち合わせや、制作現場の立ち合いなどで出かけることが多かった。おのずと顧客との付き合いが多くなる。
 井角が勤務する千代田広告は同族会社で、幹部役員はすべて一族で占められ、制作部の部長も専務取締役と肩書きの付く創業者の娘婿であったので、井角はもうこれ以上の出世は望めないと考えいずれ独立するつもりでいた。そんな考えもあって新しいクライアントの仕事は特に力を入れ頑張っていたのだ。

 京都でのことがあった後、埴生佳与は二ヶ月程経ってから会社を辞めた。理由は「知り合いのデザイン会社へ行く」ということだった。井角は夜、佳与の家へ電話を入れたことがあったが、留守録のメッセージが返って来ただけだった。・・・
 あれから三ヶ月になる・・・あの時、別れ話をした訳ではなかったが、もう逢わないでおこうと心に決め、仕事一途に精を出していたのである。それでも毎日のように思い出して胸がうずいた。
 ・・・長い髪に美しい眉、グラマラスな身体つきに不釣合いな、あどけない澄んだ瞳が思い出された。とても逢いたかった。
 会わなくなって改めて佳与が井角にとって大事な人だと思う。心の深い部分で惹かれるのである。彼女と会っていると心が和み、魂が癒されていた事が分かった。
 
 その日は土曜日で、隔週休日の日であったが、井角は昼から家を出て、中之島の図書館へ足を向けた。今、力を入れて取り組んでいる、レストランチェーンの会長に提出する、企画書(プレゼン)つくりのためである。
 一応の目的を済ませたあとは、自然と足が史学関連の書架のある方へ向いていく。

 井角は古代史に興味を持っていた。三世紀から七世紀位までが特におもしろかった。そして不思議な巡り合わせを感じていた。井角が生まれた村の氏神のことである。それは波宝神社といい、祭神は住吉大神と神功皇后であった。大阪に出てから結婚式を挙げた神社は住吉大社で、今住んでいる南河内市の氏神も住吉神社であり、その祭神はいずれも「神功皇后」である。神功皇后は謎の人物で、実在しなかったと云うのが現在の歴史学者の定説だが、吉野に関わりの深いこの人物が、架空の存在とはどうしても思えない。井角はいつかその実在を証明したいと思っていたので、神功皇后ゆかりの神社に特に興味があった。
 神功皇后について調べていると、どうしても天照大神の伝説と、推古天皇や持統天皇などの女帝とその人物像が重なってくる。そしてさらに吉野の古代豪族との関わりが見え隠れするように思われた。
 井角は祖母から家系の話を聞いている。
 その話によると先祖は吉野首(よしのおびと)の系譜、井依(いより)の子・井角だと。これは師事する役小角(えんのおづぬ)の一字をつけて名付けられ、後に姓となったという、丹生の一族・井光の末裔であった。
 古代史の書架の前へきて、最下段に並んでいる部厚い事典類の内の一つに目が行き、重いその本を手に取って閲覧机に持ってくると開いてみた。
 古代豪族の出自や系譜が書かれている。
 佳与の姓である「埴生」を引いてみた。変わった名であったのと、やはり、ずっと心にあったからであろうか。
 それには次のようなことが書かれてあった。
 /埴生・・(ハニウ)とは丹土(につち)(朱土(あかつち))の産地のことで、羽仁生とも書き土師(はにし)である。関連氏族の息長氏や丹波氏、葛城氏、巨勢氏らと共に「丹生族」と呼ばれ、この一族の首長は代々女性が継承する習わしであったといわれる云々…拠点は吉野や高野・竜神、丹波、近江にもあり。…/
 そう言えば・・・と井角は思い出した。
 「私は播磨の赤穂生まれだけれど、祖母は丹波の出よ」と言っていた。たしか二代続いて婿養子取りの家系だとも聞いた。それに「丹生(にう)」といえば、井角が生まれた吉野に、そんな地名があった。又、子供の頃よく魚を取ったり、泳いで遊んだ川も「丹生川」だった。(佳与さんと俺は、ひょっとしたら先祖は親戚だったかも知れないなあ・・・)と考えると、又、ひとしきり愛しくなった。本を元の位置に戻し、そろそろ帰ろうと階段の方へ歩いて行く途中、向こう側の閲覧席を見て「あっ」と思わず声を上げそうになった。「佳与さんだ」反射的に顔をかくした。気になってもう一度見ると下を向いて何かを読んでいる。井角は声をかけようかと逡巡したが、その気持ちを振りはらって外に出た。
 
 その晩、井角は夢を見た。
 緑濃い山里だった。妙齢の女が馬を駆り大鳥居をくぐり、裳すそを風に踊らせて川沿いの道を疾駆していた。
 その後をかなり離れて、従者であろうか小さな馬に乗った女官が、遅れまいと必死の形相で、しかし、もうよたよたと今にも倒れそうにあえいでいる。
 先の女は駆けに駆け、従者を捨て置いて二の鳥居も、その勢いのまま駆けぬけると深い木立の杜(もり)に消えた。続いて境内が見えた。神官が二人、石塔の前で誰かを待っている様子である。その石塔には「丹生川上神社」と刻まれている。
 先程の女がそこへ駆け込んで来た。神官があわてて轡(くつわ)を持ちにいくのももどかしく、ひらりと朱の裳をひるがえして馬を降りると、見るからに優雅な風情の女性である。真正面から顔が見えた。佳与だった。浅葱色(あさぎいろ)の袴を付けた神官がその馬の轡を取って向こうへ行くと、もう一人の紫色の袴を付けた神官が出迎え拝殿へと案内して行く。すると向こうの拝殿から正面の石段を三人の人物が降りて来た。 
 真ん中の武人らしい人物には威厳があり、がっちりとした体格で烏帽子をかぶっていた。横の婦人は后なのであろうか高貴な雰囲気がただよっている。その後を白袴の神官が従っていた。よく見ると袴には左三ツ巴の神紋が入っている。
 見ていると、こちら側の紫袴の神官が大きく下って正面の道を譲り深々と拝礼した。若い女性もそれに従った。拝礼した二人の前を先頭の高貴な武人と貴婦人は通りかけ、しかし貴婦人は立ち止まり、道を譲った若い女性の方を見据えると
 「オマエガヌカタノワカヒメカ?」とはっきり言った。・・・夢はそこで終わりだった。 朝、目を醒ましてからも、井角は、はっきりとその言葉を覚えていた。
  
 休み明けの月曜日、井角は仕事を終えてから、車で小阪へ行った。近鉄奈良線にある東大阪の学園町である。ある高名な小説家が住んでいることで知られていた。駅は八戸(やえ)ノ里といい、高架になっていて北側は公団の高層住宅が多く、南側には一戸建ての住宅と中低層のマンションが混在していた。その南側の低層マンションの三階に佳与は住んでいる。もちろん賃借である。
 (もう帰る頃だ・・・)さっきから何回もそう思いながら、駅からマンションに続く道の、高校の運動場の角に車を停めて待っていた。
 今朝早く、井角は佳与に電話をかけ、「どうしても会いたい」と言ったのだが、忙しいとの理由で断られたので、帰宅時に待ち伏せしてでも会うつもりで、朝から車で出勤したのである。待ちながら井角は昨夜の夢のことを考えていた。
天武天皇の后とおぼしき女性が「オマエガヌカタノワカヒメカ?」と言ったことである。天武には恋人に歌人として有名な額田(ぬかたの)女王(おおきみ)がいたが名前が少し違うし、年齢も天武の皇后、菟野讃良皇女(うののさららのひめみこ)より十歳ほど上であったはずである。しかし夢の中では遙かに皇后より若い(佳与)に向かってヌカタノワカヒメとはっきり言ったのである。
 ほかに額田といえば幼名を額田皇女(ぬかたのひめみこ)といわれた推古天皇がいる。とすればヌカタノワカヒメとはその一族の娘ではないか。そんなことを考えていると、夢の中のワカヒメと佳与がダブってきて井角はますます佳与に会いたくなった。
 (ひょっとすると男と一緒かも知れないな)と思いながら、なお待っていると帰って来た。一目で佳与と分かった。意外にも一人である。車から降りて来た井角を見て、さほど驚きもせずお茶に誘うと黙ってついてきた。
 喫茶店にはいると井角は佳与の目を見て話をした。自分の身勝手さを詫びた。もう決して自分本位な行動はしないとも言った。心からそう思っていたからである。本当にもう一度つき合ってもらいたかった。  
 「井角さんと初めてホテルで泊まった次の日の朝、私が渡そうとした手紙を、見ていてくれれば、こんな付き合いはなかったのにね」佳与はそんなふうに言った。
 そういえば思いあたることがあった。朝、公園で会った時、佳与は封筒にタクシー代の残りを入れて俺に渡そうとした(そうか釣銭と一緒に手紙があったんだ)。
 受け取らなかったが、・・・いったいどんな事が書いてあったのだろう・・・。
 歩いてマンションの前まで送り、そこで別れた。井角は部屋に入ったことがなかった。 帰り道、井角は心が晴れた。「おやすみ」を言った時の表情に、ほほえみがあったからである。明確な復活の予感があった。     

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