丹生伝説 部現代編
                                                                                  
  
 四、山背(やましろ)の戻り橋

 月に何度かの逢瀬は続いていた。
「飲むのなら、朝まででもいいわよ、でも寝るのはイヤ!」
 相変わらずであった。
 実際、佳与は酒が強かった。二人で食事をするときは、まずビールを飲んで、そしてフルボトルのワインを一本空ける。たいていフルボディの赤だった。それから飲みに行くとブランディを一本、空にしてしまう。食べる方でも健啖家であり、たいへんなグルメでもあった。どんなものでも好き嫌いはなく、ゲテモノでも食べることができた。お金はかかったが井角は無理をしていろんなところへ連れて行った。

 つき合い始めてから初めての佳与の誕生日が来た。その週末、井角は家から車を出して通勤すると夕方、示し合わせて井角の車に佳与を乗せ泉州方面へ向かった。
 途中、井角は用意していた誕生日のプレゼントを出す。
「佳与さん、誕生日おめでとう」
「えっ、わ、ありがとう」
「こんなの、もらえるなんて思っていなかったワ!…開けてもいい?」
 佳与はていねいにリボンを外し、包装紙を取って中をみると、もう一度、礼を言った。井角は百貨店の商品券にバースデイカードを添えてプレゼントしたのだった。カードは前の晩に家の書斎で、お気に入りのオリベッティの手動式タイプライターを出し、ていねいに打っておいた。

 To: KAYO
 CONGRATULATIONS,on your 29th birthday. 
 Happy, many happy returns of the day.
 Lots of luck! my best regards. I.T.

 ステーキハウスは満員であった。予約しておいてよかったと思った。
 佳与はヒレ、井角はロースのコースにした。顔見知りの名物シェフが自ら焼いてくれた。アントレは勿論のこと、オードヴルといい、ガルニといい申し分がない。さすがにステーキの焼き具合いにも狂いはなく、佳与はレア、井角はミディアムレアが好みだったが、ピタリ注文通りである。余熱を考え調整されていた。特に仕上げのピラフは絶品だった。鉄板の上で米粒が小さくダンスをしていた。 
 井角は、アメリカで人気の「ヒバチステーキ」について、一講釈をしながら、二人でワインと料理を存分に楽しんだ。デザートは地下のバー・ルームへ移って、抹茶のアイスクリームを食べた。あっさりとした味で、甘みを抑えてありステーキのあとのデザートにぴったりである。これが美味しいのも井角は知っていた。以前にこの店のテレビ広告を手掛けたからである。それでシェフも知っていたのだった。

 食事の後はいつも飲みに行くのだが、車なので差し控え、少しドライブすることにした。井角は何度かこの辺りに来たことがあったので土地勘はある。
 大仙公園にきた。その前は仁徳天皇陵である。巨大な闇が左手に続いていた。この公園には、たしか博物館と図書館、それに茶室もあって一般に公開されており、井角も入ったことがあった。又、この近くには仁徳天皇の父、応神天皇とその母、神功皇后を祀る百舌八幡宮もあったはずである。そんな話をしながら走った。 

 前方にホテルらしきネオンが見える。もう長い間、佳与を抱いていなかった。思い切ってそのホテルの駐車場に車を入れ、玄関を入ると井角は案内ボードからカードを抜き、フロントでその番号のキーをもらうと、エレベーターに向かって行った。佳与は黙ってついてくる。
 抱くのは久しぶりだった。井角は彼女の何もかもが好きなのだ。肌が合うというか、そのたびごとに良くなってくる。
(それにしても・・・)と思う。他に男がいる気配は初めからあった。それも一人ではない。そう考えると嫉妬心がわき上がって来る。(もう溺れそう)井角は自分の理性に不安を持った。 

 あくる日、京都へ行くことにした二人は阪神高速の堺入口から守口線へ向かった。京都へは、豊中から名神に入るのが一番早いのではあるが、まったく急ぐ必要はなかったからだった。守口で高速を下りると、枚方バイパスから国道一号線を走った。
 途中、八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)へ立ち寄る。祭神は品陀別(ほむだわけ)(応神天皇)、息長帯比売(おきながたらしひめ)(神功皇后)、比売大神(ひめおおかみ)(市杵島姫ほか)で神紋は右三ツ巴あった。

 八幡市を出て京都に入ると昼前になり、佳与の希望で嵐山で食事をする事にした。湯豆腐の店へ入ると日本酒を注文して、昼から湯豆腐を肴に酒を楽しんだ。 
 そのあと屋形船に乗った。船頭さんは他に客がいないにもかかわらず、二人のために船を出してくれ、長い棹をさしながら、上流に向かって川筋の説明などをしてくれた。
そこは有名な保津川下りの終点であり、その渓谷にそってトロッコ電車も運営されている処である。始点は丹波国桑田郡、今の亀岡で終点の嵐山まで十六キロ、舟下りの所要時間は約二時間ということであった。
 船頭さんに記念の写真のシャッターを押してもらい、嵐山を後にする。 

 山の手を走った。特に行くあてはない。車の中で井角は音楽を聞きながら、昨夜のことを思い出していた。ロードサイドに先ほどから、何軒かのホテルの看板が目についていた。・・・どこかに入ってやろう・・・。 
 適当なホテルに車を乗り入れると、井角は助手席側へまわってドアを開け、促したが、しかし今日は頑として、「ダメ」と言ったまま、どうしても佳与は車から出ない。
 井角は仕方なく車をホテルから出した。走りながらあきらめきれず、もう一度誘うと
「膣内(なか)に射精(だ)してくれるんだったら、私はいつでもいいわよ」
 佳与は井角の顔を見ずに、まっすぐ前方をみたまま、にこりともしないで言い放った。その言葉にはあらゆる意味が含んでいた。佳与の思いが凝縮していると思われた。井角はもう、何もできなかった。言葉もでなかった。あらゆることが脳哩を駆けめぐる。佳与も一言もしゃべらなかった。沈黙が続き、その沈黙がさらに車内の空気を重くした。車は一条堀川のあたりだった。先程から二人共、黙ったままだったので気まずい空気を除こうと、努めて快活に井角は話しかけた。
「安倍晴明(あべのせいめい)って知ってるだろ」
「ほら、そこの一条の『戻り橋』で有名なんだがネ、陰陽師(おんみょうじ)といわれた平安時代の占師で ねえ」 
「その安倍晴明が戻り橋のたもとに、『式神(しきがみ)』と呼ばれる配下の鬼神を住まわせていたそうなんだよ・・」
「それがなんでも、奥さんが恐がるから隠していたそうなんだナ」
「その式神と云うのはだね・・・」 
 まったく反応はなかった。
 気まずい雰囲気が続いていた。そのまましばらく走っていると突然、今まで外ばかりを見ていた佳与が、
「止(と)めて!ここから電車で帰るから!」
と言って車を停(と)めさせ、引き止めようとした井角を振りきって、駅に向かって走り去ってしまった。

 帰り途(みち)、さまざまな思いが錯綜した。後悔もした。井角は自分の気持ちの奥に愛を感じていた。
 自宅に帰った後、書斎で長い間ひとりで居た。タバコを何本も灰にした。
 それからノートを出して、何かを書こうと思い、しばらくして次のように短歌を書き止めた。

  ハンドルを握る手休める戻り橋左の席の残り香愛(いと)し
 
 そして井角は声を出して一度詠むとまた、ひとしきり考えた末、次のように書き改めた。

  戻り橋止めた車のシートには帰りし妹の残り香淡し

 ・・やはり思い切って別れよう、それがあの娘(こ)のためだ。もちろん自分のためでもある。 井角は心に決めたのだった。
    

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