真朱の姫神 第二部・飛鳥編
                                                                                  
 五、黄金岳

 山々は、峰の方から色付き始めていた。
 伊与はいつものように「栗」に乗り、フキメを連れて大淀の渡しへ向かっていた。セノオとの約束を果たすためである。
 今木の丘まで来ると、渡しで待っているはずのセノオが、鳥居のあるところまで迎えに来ていた。
 見ると今日はいつもの貫頭着(ちはや)ではなく、綿の早袖(ふく)に麻布の袴を付けている。見違えるような凛々しい若者に生まれ変わっていた。 
 伊与の方はといえば、いつもの普段着で短衣(きぬ)に袴であった。この袴は里の養母が乗馬用にと胡服の袴を女用に作り替えたものであった。女はほとんど乗馬をしなかったからである。

 大淀の渡し迄行くと、いつも通り伊与とフキメは舟に乗り驢馬を乗せ、向こう岸へ渡る。
 伊与の乗馬は、セノオが自分の乗馬と共に手綱を引いて川下の浅瀬を行く。
 渡った南岸の秋つ川が吉野川に流れ込む川合に開けたところが、桃花(つき)の里である。そこには天武天皇の吉野宮(離宮)がある。そこから少し南へ、遠つ川方面にに延びている道を行くと、その辺りがいにしえより「与小竹(よしぬ)」といわれた吉野の本郷であった。
 吉野宮を右手に見ながら、セノオを先頭に三人はそれぞれ馬に乗ってさらに南へ向かった。

 坂道を上っていくと樺の木峠へ出た。その右手西方の山が金峯山である。樺の大木のすぐ横に鳥居があり、山頂に向かって参道が延びている。この道は村の人達が「黄金岳(こがねだけ)」と呼んでいる金峯山(きんぷせん)への登山道でもあった。
 そこまで来た三人は下馬して休憩をとった。その先は三叉路になっている。そのままこの道を南へ行くと古田の里から、遠つ川を経て熊野へいたる道。西へ行けば宇智の郡へ出る。
 しばらくして三人は鳥居をくぐり、参道を頂上目指して登って行った。

 この辺りの邑々はいたるところで煙が立ち上っていた。
 白い煙は木炭を焼く煙、黒い煙は精錬の煙である。ここから南の一帯は、いわゆる丹生の里で山々に穴を穿ち、丹や金属を採掘精錬していた。
 精錬には木炭が要るのである。
 この黄金岳は栃原岳ともいわれるくらいトチやクヌギが密生していたのだが、木炭を作るためほとんど伐木され、いまは建築用材として杉や桧が植えられていた。木はまだ小さいので歩きながらも周りの村々が良く見渡せる。

 登っていくと頂上付近に真新しい寺が建てられていた。山門に「金山寺」と書かれている。
 そこから少し登った先が目指す金岳の頂上で、そこに「波比売(はひめ)神社」があった。
 この山頂の社も周りの古木はわずかで、自分たちが今、登ってきた道とともに北には東から西に流れる吉野川、その向こうに飛鳥の都、遠くに葛木の山々から二上山(ふたかみやま)まで見渡せる。
 三人は首を回して見渡した。
 西は宇智から布々木の里。すぐ南には間近に銀岳、続いて銅岳と続き、遠く向こうには、うっすらと熊野・紀伊山地が広がっていた。
 ひととおり見渡して伊与は先に立って拝殿へと向かう。そのあとをフキメが続く。
 伊与が振り返って見ると、セノオはまだ辺りを見回していた。セノオを促して拝殿への石段を登ると、向こうに白髪の老人がいて、こちらへ向かって手を挙げた。
 井光の年寄・井頭である。もちろん、伊与は幼い頃から知っている。井頭は昔からここの祝(はふり)である。人々は「栃原祝(とちわらのはふり)」と呼んでいた。
 挨拶はあとにして伊与はまず拝礼を済ませた。フキメやセノオもそれに見習った。
 それから伊与は玉砂利を踏んで神殿前にいる井頭の方へ歩いていった。

「伯父さま、久しぶりでございます」 
「おう、伊与さんか、久しぶりだな。美しくなったんで見違えたよ」 伊与は井頭にセノオを紹介し、そして金峯山に登ってみたいというこのセノオを案内してきたことを話した。すると井頭はセノオの父の阿陀の頭を知っているという。
 社殿の客間に案内された三人は栃原祝の井頭から、あったかい茸汁を馳走になる。
 祝は伊与がおてんばだった子供の頃の話しをしてセノオを笑せた。
 セノオが栃原祝にたずねた。 
「ここの神の名は何ともうされますか」
セノオは何も知らないのだった。ただこの金峯山の姿があまり美しいので、一度登ってみたいと思い、それが憧れの伊与の案内で一緒に行けるという、願ってもないことが実現したのだ。
「この社の神は、丹生都比売(にうつひめ) さまと申されましてな、丹生の大明神さまじゃ。そして相殿で波比売神さまもお祀りしている」
「神社名は波比売神社というんじゃが、このハヒメというのは、いわゆる灰吹女(ハヒフキメ)のことで、同じ精錬の女神さまなんじゃよ」
「ハヒフキ?」
 セノオは怪訝そうに言葉を繰り返した。
「灰吹とは昔の精錬法でな。露天の炉で炭火を燃やし、竹の筒で懸命に息を吹いて火力を強め、製鉄をする古式の精錬法のことじゃ」「吾(あれ)は丹生都比売さまは、水銀(みずかね)の神様だと思うとりました」
「まあ、同じことと思うてくだされ」
 栃原祝は、詳しい説明はしなかった。セノオは立て続けに質問をした。
「下のお寺は金山寺で、この山は金峯山とワカヒメさまからききよりますが、黄金(こがね)がここで採れるので?」 
 セノオは敬語が上手(うま)く使えない。
「さあて。今はよく分からぬ、邑の者は金岳と呼んではいるがの」
「では祝さま。下のお寺は何をしてなさるのでございます?」
「去年、スメラミコトがお建てになったのじゃが。むろん、仏の道をおしえている。近頃は小角がよく来て居る」
「葛木の役行者さまですか」
「そうじゃ、お前も時々来るといい。百済の坊さまが、ただで学問を教えてくれる。儂も時々顔を出すよってにな」
「ついでに祝さま、もう一つおしえてくだされ」セノオがまたたずねた。
「向こうに見える、あの変な建物は何なのでございますか」
 セノオは外を指さしてたずねた。
「おう、あれは『占星台』というてなあ。星を観る櫓じゃ。あれもスメラミコトが建てられた。」
「じゃが、あれは案内できぬぞ。ミコトが一緒じゃないとだめなのじゃ」
 栃原祝は続けて言った。
 ひととおり質問してセノオは納得したようである。
 栃原祝はそのほかにもいろいろな話しをしてくれた。なんでも外つ国では、新羅が百済を滅ぼし、半島を統一したという。
 帰りは栃原祝が金山寺の前まで見送ってくれた。
 
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